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フラタニティ (バンド) : ウィキペディア日本語版 | フラタニティ (バンド)
フラタニティ(Fraternity)は、1970年代初期に活動したオーストラリアの ロックバンド。後にAC/DCに参加したリード・ボーカリストのボン・スコット(:en:Bon Scott)が在籍したことで有名なバンドである。1973年にボン・スコットがAC/DCに合流するために脱退後、後任としてジミー・バーンズ(:en:Jimmy Barnes)が参加。バーンズはその後コールド・チゼル(:en:Cold Chisel)に参加し、ソロのキャリアで大きく成功した。 ==概要== フラタニティは、南オーストラリア州のアデレードで1970年、この間に分裂したレビ・スミス・クレフス(Levi Smith Clefs)のメンバーによって結成された。フラタニティのベーシストのブルース・ハウ(Bruce Howe)が、ちょうど解散したザ・バレンタインズ(:en:The Valentines)のボン・スコットを呼ぶことを決めるまで、彼らにはレギュラーのボーカリストがいなかった。ニュージーランド・ミュージシャンのジョン・ビゼット(John Bissett)は、この初期編成の中でキーボードを演奏した。 フラタニティは、2枚のアルバムと、数枚のシングルをリリースし、彼らの地元オーストラリアで一定の成功を収めた。しかし、UKで成功するという夢をもってイギリス入りした彼らだが成果を残すことができずに、バンド名を1973年初期にファング(Fang)という名変えたがやはり全く成果をあげることはできなかった。彼らは完全にやる気をなくし、失意の中オーストラリアに戻っていった。そんな中メンバーのある者は、ゆるやかな編成のマウント・ロフティ・レンジャーズ(Mount Lofty Rangers)を結成した。ところがこのバンドも、ボーカルのスコットが1974年初めにオートバイ事故により重傷を負ったことで活動停止を余儀なくされた。その後スコットは事故より回復したが、事故前に彼らと2曲のレコーディングをしていたにも関わらずバンドに戻ることはなく、AC/DCに参加することになりそのままバンドを脱退。こうしてフラタニティはのちに違う編成で再始動、それは1975年頃まで続き、同年の終わり頃までにはサム・ドリーム(Some Dream)と再び名前を変えた。その後の1978年、バンドはミッキー・フィン(Mickey Finn)という名前に再び変えており、メンバーにはブルース・ハウ(Bruce Howe)、アンクル・ジョン・イヤーズ(Uncle John Eyers)、モーリ・バーグ(Mauri Berg)、ジョン・ベートマン(Joff Bateman)が含まれていた。1980年までに、ジョン・フリーマン(:en:John Freeman)が再び参加し、セカンド・ギタリストのスタン・コリティーニ(Stan Koritini)が参加している。その編成はエウレカ・レーベル(Eureka label)で、セルフタイトルのアルバムを製作した。ミッキー・フィンは、音楽シーンから後退する前の1980年と1981年に、2枚のシングルをリリースした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フラタニティ (バンド)」の詳細全文を読む
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